AFEEエアコミケ街宣。ガンダム初代ディレクター父もエア参戦。
AFEEさん主催の、エアコミケ街宣に無所属東京みらいで参加させていただきました。
コミケという言葉を最初に聞いたのは、父の口からでした。
毎朝早く起きて仕事に行き、深夜寝るときにもまだ帰宅しないのが当たり前だった我が家の父は、機動戦士ガンダムというアニメの初代音楽ディレクターをはじめ、イデオン、ボトムズ、気まぐれオレンジロード、ふしぎの海のナディア、映画ゴジラなどの音楽制作に携わってきており、一方で家の中では完全にレアキャラでたまに出没しても日曜日にスピーカーの前に座ってじっくりと趣味のクラシック音楽を一日中ずっと聴いているような人でした。ガラス越しに、兄妹でそんな父の姿をこっそり眺めていた記憶があります。
父自身は音楽には関係のない普通の家庭に育っていたので、大学に通いながら初めてピアノを習い、とても遅いスタートだったので自分が音楽家などになることはなかったのですが、その後音楽会社に入社してディレクターとして音楽を作る仕事ができたことはとても幸運かつ充実した日々だったのではないかと推測します。
そんな父から、私が小学生の頃には、
コミケの存在や声優さんのライブの熱(参加経験有)、アニメージュなどの雑誌の面白さを教えてもらいました。
私が中学生になると、私はどちらかというとクラブミュージックに夢中になってしまったので、父の大事な機材で重低音の鳴る洋楽をかけてよく怒られていました。
父の周りには、当時も今も、アニメや漫画や映画や音楽を作る仕事に携わる人がたくさんいます。小さい頃から、家にも漫画家さんやアニメ関係者の人が遊びにきたこともありました。
父はとにかく、全ての仕事仲間を心から尊敬して、敬意を払っていました。
スタッフさんや営業さんも音楽家も作家も全て、「自分のエゴ」ではなく「作品への愛」が共通点としてそこにある限り、その作品は素晴らしいものになるのだという信念を持って仕事をしていました。
仕事がうまくいくということは、作り手だけの頑張りや想いだけでもいけない、
受け取ってくれるファンの人一人一人の支えや喜びがあってこそのものだということも事あるごとに教えられてきたように思います。
私などよりも、その業界に生きる人たちの喜びや興奮を常に一緒に感じて生きてきた父に、コミケ街宣では言葉をもらいたい!と勝手に思い立ち、東京みらいの仲間に相談して快諾していただきました。寛大な二人にいつも感謝です。
私でも細部までまだ理解できていないことや、知らない部分もあります。
それを発見すると、しかし父は後ろからたしなめてくれます。それは違うよ、と教えてくれます。
これはコミケだけではないですが、
どの業界・世界でも、
「団体や企業」が名作や熱狂を生み出しているというよりも、
所属している人やしていない人も含めて全ての「人」があってこその業界、と言えると思います。
一人ひとりの「人」が楽しめているか、そのための場所が守られているか、
そのことは常に気をつけていかなければ、と改めて思わされました。
AFEEのみなさま、コミケ関係者・ファンの皆さま、みらいのお二人、父に、多大な感謝です。
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