防災女子で語り合う。あの日の私たち、今日の私たち。

今日は3.11。

10年前に、大きな地震と津波が東日本を襲ったその日です。


私だけでなく、日本各地のすべての人にとって、忘れられない1日だと思います。

そんな1日の、10年目の節目を迎えるにあたって、とあるSNSでご招待いただいていた、特に地域防災活動に従事されている方からのお声がけで、「3.11を一緒にふりかえろう」というオンラインの会に、今日は参加をさせていただきました。


議会開催中で、現在はコロナ禍でもありますが、

この会には、なんとか時間を工面してでも参加したい。参加しなければ。

そう思い、参加して、本当に良かったです。

今の自分の原点のような場所に、立ち戻ることができました。


参加されていたのは、女性ばかり、北海道、また山形などをはじめ、静岡や山梨、東京、そして沖縄まで、全国各地にお住まいの方々。


あの日、どこで何をしていて、何をみて、何を感じましたか?

という切り口から、お話が始まりました。


東北の陸路の輸送は絶たれてしまったので、北海道からは東北へ自衛隊が給油や生活必需品の輸送を海沿いから始めたので、北海道内の物資がすべて消えて無くなってしまったんですよ。


山形はガソリンが


東京はスーパーの食品が


すぐになくなっていました、と参加者からも口々に。


私も思い出しました。あの日、自分がどこにいたか。どんな体験をしたか。


私は、その時妊娠7ヶ月でした。

第一子を妊娠中でしたが、歌の仕事があるため、友人のコンサートに参加させてもらうために 武道館に向かって、事務所のマネージャーさんの運転する車に乗っているときに、あの地震を体験しました。

一般道を走っていたのですが、上方の首都高がぐわぐわと音を立てて揺れていたのを覚えています。

何か事故でもあったのかと、マネージャーさんが速度を緩めて、しばらくして、地震だということに気がつきました。


それから程なく、武道館に到着します。

現地は混乱していて、地震の影響がどこまで及んでいるかわからない中、その日の公演は中止されるということが伝わってきました。

コンサートの主役である友人に挨拶をしてから、帰宅をはじめてみて、交通も大変混乱していることがわかりました。


近隣の道路は見たことのない渋滞。

全く動かなくなった道を、武道館のある九段下からなんとか代官山近辺まで5時間ほどかけて戻りました。

代官山で車を置いて、それぞれ自宅に歩いて帰ろう、とスタッフさん達とも別れますが、ここでは車に道端で扉を叩いてきて「どこまで行きますか?乗せてもらえないか」という方が多く居られました。ただ、車を置いてそれぞれ帰宅するため、ここで乗せてあげられなかったことが悔やまれます。道に、帰宅困難者は溢れていました。


そこから、2時間ほどかけて、歩いて自宅に戻りました。

周囲に歩く人はたくさんいたので、心細くはありませんでしたが、家路を急ぐ人たちの雰囲気はやや殺伐としていて、携帯なども繋がらない状態だったので、気持ちは不安だったのを覚えています。


同じ方面に、さらにプラス1時間ほどかけて帰ったスタッフさんの一人は、途中途中の飲食店が張り紙をして「トイレ使ってください」など、帰宅困難者に施設を開放していることに感動していました。


この日の混乱に続いて、

その後の、原発のメルトダウン。

妊婦である私のところには、全国の知人や友人から、連絡が入りました。すぐに関東を出て関西か九州に行きなさい、また、それをしないなら貴方は母親失格だ、という、心配してくださるからこその厳しい言葉もありました。


私は東京に生まれて、東京に暮らして、東京で仕事をしてきた中で、

東京から離れて仕事や生活をしていくということは、全く想像できませんでした。


しがみつくわけではないですが、東京は私の生きてきた場所であり、

食べることも生きることも、この場所で培ってきた、からこそ、

簡単にはこの場所から離れることはできませんでした。


だからこそ、私はこの時、自分を叱りたい気持ちになりました。

原発を責めることができないくらい、私は無頓着で無知に電気を自由に使ってきていたからです。

それに依存して、夜でも冬でも自由にふんだんに電力を使える生活を送ってきていたからです。


ただし、経験をしたということは、それについて考えるきっかけをいただいたということでもあります。


私はこの体験を通して、再生可能エネルギーを増やしていくにはどうしたらいいのかと、原発に依存しなくても暮らしていくようになるためにはどうしたらいいのかと、考えて行動するようになりました。

何かが起きた時に、誰かを責めたり、避難をしたり、住む場所を変えたりしなければいけない状況に陥らないようにするためです。


私は、あの震災から2年後、岩手県釜石市の親善大使とさせていただきました。

いただくばかりで何もお返しができておらずに恥じ入るばかりですが、釜石市の変化や歩みと共にこれからも、できる限りの応援をしていきたいです。

釜石市をはじめ、東北の各市にたくさんの大漁旗が、またたなびく未来が訪れますように。


今日の会で、教えられたことがあります。


3.11の体験は、その内容、感じた想いも、それぞれにさまざまです。


私などより、もっともっと、想像もできないくらい大変な状況にあった方達が多くおられます。

ですが、すべての人が、我が事として、あの日のことを思い出して、考えて、感じて、次へと、明日へと、繋げていくことに大変意味があると感じています。


今日参加されていた方の中から、こんな言葉がありました。

そんなに大変なことにはならなかった自分が、そんな想いを語ったりしていいのだろうかとも思った・・・という言葉です。


そう感じるのは自分も同じです。

でも、その体験を、その想いを、誰かに伝えて、一緒になって考えることに、とても大きな大切な意味があると感じています。


大きなことも、小さなことも、その想いや体験を繋げて、共有していくことに意味があります。


小さなことだとしても、自分が意識をして何かをしていくことで、次にくる災害の時、誰かの困りごとを解決できるかもしれません。


その一つ一つが、きっと積もり積もれば、大きなうねりになり、大きな変化になる、と信じています。


当時私のお腹の中にいた長男は、今9歳となり、一緒になって備蓄品のチェックをしてくれています。


できることを、少しずつでもやっていく。

その想いを忘れずに、明日からも、3.11の記憶を誰かと共有していきたいです。


国立駅前の旧駅舎で、現在釜石復興写真展が開かれています。

お近くの方は、ぜひお時間がありましたらお立ち寄りください。


引き続き、幅広いご意見をお待ちしています。

斉藤れいな(さいとうれいな)公式サイト

東京都議会議員 南多摩選挙区選出 斉藤れいなの公式ホームページです。