稲城の誇る教育者を学ぶ。

本日は以前から議会がひと段落したら伺いたいと思っていた、稲城の中央図書館 城山体験学習館ギャラリーで展示が行われている「語り継ぐ稲城の誇る教育者 窪全亮と小俣勇」に足を運ぶことができました。

年内の議会は、今週25日のオリパラ準備特別委員会が最後でした。

事務作業や予算議会に向けた調査も続きますが、稲城の誇る教育者を学ぶ時間を過ごして心がとても勇気付けられるような気持ちになりました。

もともと、青渭神社の美人神主さんである森谷さんが受付をされている時間があるということや、時間によっては紙芝居を読んでいらっしゃるということを事前に伺っていたので、その紙芝居目当てに伺いました。こちらの写真がまさにその森谷さん、そして読んでいただいた紙芝居です。その名も、「いなぎ」!


なんと、森谷さん作、絵は若葉総合高等学校の美術部が8人ほどで実際の稲城市の風景の写生などを経て書かれたそうです。内容はとってもわかりやすく、「稲城」の名前の由来や稲城市の成り立ちに窪先生の立てた奚疑塾(けいぎじゅく)がどのように関わっているものなのか、それが理解できるようになっています。


窪先生の足跡を説明していただきながら、激動の幕末の時代に現在の上野にあった寛永寺の学寮に8年間入り、漢学を学んだというその人の見たものや感じたものは何であったのかと、しばし想いを馳せました。学寮時代の記録は残っていないということで、当時の話を伺ったことのある方の口伝でうかがい知るのがやっとですが、上野戦争で官軍による彰義隊の全滅を実際に目の前で見たであろうその人は、明治維新後地元に戻り、小学教育の教師を務めた後、33歳で「奚疑塾」を開いたのちも数々の詩を詠んだということです。



奚疑塾の名前の由来がこちらです。

陶淵明の帰去来辞からの一節「夫(か)の天命を楽しみて復(ま)た奚(何)をか疑わん」より。実際には帰去来辞の最後の一文ですが意味は「あの天が命じたものを楽しんで、どうして再び疑うことがあろうか。(信じて生きてゆこう)」というものとなります。


歴史に学び、自ら考え、正しい判断力を養うことを主眼として、奚疑塾では社会に有意な人間を育てることを目指したということです。

創設者が20代で大変な時代の流れに翻弄された経験を持ち、どこか達観したところを感じさせるような一節を塾の名前の由来としつつ、この塾では奥様が塾生の食事の面倒を見て、近隣の農家がその材料を提供してくださり、学費を払うことができない貧しい学生も受け入れていられたということも伺いました。地域で敬われ、地域で育まれてきた学びの土壌というものがあるのだと感じました。

ちなみに多摩や町田からのみならず、埼玉や神奈川といった遠方からも塾生が来ていた、またさらに興味深いのは女性の塾生も少なからずいたという点でした。塾の気風が感じられます。


自ら考え、正しい判断力を備え、常に社会のために最善の道を選ぶ人物になりたいと私も心から思います。子供を産み育てるようになり、その思いは誓いにも似た強さと存在感を持つようになりました。正しい判断を行うには正しい情報をより多く得ることが必要です。そして自らの考えにより間違った判断をしないためには、時に自らを批判的に捉え、友や師の話に耳を傾け、自分の考えと違う人物とも話をしてゆくことも大切です。自分も常に、特に都議会議員としてたくさんの方々のお声を常日頃から伺うことが多いからこそ、自分の考えを一歩後ろに退けた上で様々な最善の判断をしなければならない時が多々あると感じています。自分はそのようなことができているか。そのための自分の努力は最大限行われているか。常にそれを自らに問い続けて行かなければならないと思います。

今日は稲城の偉大な教育者から、時代を超えて、私自身も多分に教えられたことがあるように感じられる1日でした。子どもたちにとって、また私たちを育ててくれた街を作って支えて来られた人生の諸先輩がたにとって、大切なことを捨て置かずに心豊かに暮らして行ける社会を実現して行きたいと心底思います。生まれ育ちや、貧富の差はその人物の人生の可能性に影響しない、そんな社会を作りたい。そのためにはやらなければならないことがまだまだ、山ほどあります。


奚疑塾と共に、小俣勇先生の稲城の数学塾の展示もありましたが、こちらの方は数学の実際の問題や教材も展示されており本当に興味深いものでした。ぜひ、ご興味のある方は明日が展示の最終日ですので、お誘い合わせの上、足をお運びくださいませ。