夢の授業、第一限目に参加して来ました。

学生団体「夢の教室」が主催する、「まなびについて考える」(斉藤解釈です)夢の授業、第一限目にお招きいただき、NPO法人カタリバ監事の久保田先生(通称・くぼやん)と参加する学生さんを中心とする若い世代のみなさんと、これから必要とされるまなびとはどのようなものか、を一緒に考えさせていただきました。


サブテーマが「資本主義と天気の子から考える」と言うものでしたが、代表の上野くんからは天気の子を見ていなくても大丈夫です、と伺っていたこともあり、申し訳ないのですが映画館に足を運べていないままの参加となりましたが、くぼやん先生が大変わかりやすく、この映画が暗示している命題についても教えてくださいました。


資本主義のくだりから入っていった授業ですが、最後には個人の意識・生活にまで落とし込むことができたかな?とくぼやん先生とともにとても充足感を感じた時間でした。


資本主義の補足に、自分も学生時代に学んだカナダのmulti-culturalismから、多民族主義=国家の枠組みが希薄になりつつある現代において、国とは何か、国家を構成する要素とは何か、共同体の最小のものは何か、そして今国家を凌駕する強大な共同体とは何か、というお話をさせていただきました。今も昔も国家を凌ぐ影響力や権力を持つ存在はあるけれど、昔は宗教などがそのパワーを持っていたのが、資本主義が浸透した現代では利潤を生み出す株式会社がその最たるものとなって国家の枠組みを超えて活動し、人とお金の流れを生み、国家に影響を与える存在になっている、と言う大学時代最も好きだった先生の授業の内容を思い出しながら。


そこで、くぼやん先生から大切な付け足しのお話がありました。これが面白かった。

共同体には、コミュニティとアソシエーションがあります。その違いはわかりますか?と。首をかしげる一同。

コミュニティーは、そこにいるだけで形成されるもの。「場」に近いです。

アソシエーションは、ある共通の「目的」を持っている共同体のことです。

これまで例えば家族や学校、地域も会社もコミュニティーであり、これまでは何かそこで例えば貢献ができない人や何かを生み出すことができない人だってそこにいていい、と言う場であった。高度経済成長期の日本では、会社ですらコミュニティーだったんですと。


それが、現代は異なり、最小単位の共同体である「家族」ですら、コミュニティーではなくアソシエーションになってしまっている。

稼ぎがないなら一緒に暮らせない。良い成績を取らなければ家に居場所がない。


何を目指して何を学ぶのか、例えば国や会社が「教えたいこと」以外に個人が「学びたいこと」は何なのか?


資本主義を否定はしないものの、現代において個人の幸せが少なくなってきていると感じる人が増えているのはなぜか?


本当の豊かさとは、何だと考えるか?


そんなお話をしながら学生さんや大学卒業したての若い世代の皆さん、また学生さんを子に持つお母さんなどと語り合う、濃密な時間でした。


若い世代の皆さんと話してみて、「豊かさ」について素晴らしい答えがそれぞれ返ってきたことが印象的でした。


私は恥ずかしながら、自分にとっての豊かさは「子どもと一緒にご飯を食べること、その時間と機会を日々持てるよう努力すること」と、疲れた働く母親目線で守りたい「豊かさ」が出てきてしまいました。矮小だったかもしれません。

若いみなさんからは、「好きなことをやって生きていくこと」「好きなことを見つけること」「やりたいことを仕事にして生きていく」と言う最も大切なテーマが。

その通りだ、と首を振りながら、ではどうしたら今の学生さんや子供達が好きなことを見つけられる毎日を過ごせるか、やりたいことを見つけられるまなびにたどり着くんだろうか。そんなことも考えました。


さらに、ご自身の体験を話してくれて、学校内・学校外での学びについてそれぞれが説明をしてくれました。

これがまた興味深く、みんな話してくれたのは大半が学校外での学び。学校内だとしても、行事や寮生活など、学習部分以外のことが多かったです。

学校は、勉強を教えるためだけの場所ではなくて、どんな人でもそこにいて良い、成績の良し悪しだけで価値付けがされることも本来あるべきではない「場」=コミュニティーであるべきだ、と改めて感じました。


一方で、ここのところ都内各所から頂く学校現場における陳情、生徒さんの苦しみや悩み事について、学校は今の児童生徒さんたちにとって、どんな場所になっているのだろう、と心配になることが多々あります。


何よりも子供達一人一人の学びが「あらかじめ用意された方向へ導かれる」ようなものではなく、主体的・自発的なものへ進化していくよう、私も引き続き一緒に考え、各分野で教育委員会に訴えていきたいと思います。