手話と日本語を学ぶ品川の明清学園を視察しました

聞こえない子、聞こえにくい子に手話と日本語を両方使えるように教えていく、ということをモットーとしておられる品川区の明清学園を視察しました。


森澤都議の地元です。周辺は団地で高齢化も進む中、統廃合が進む学校施設を残して活用されているとのこと。

昨年で創立10周年。

そもそも「耳が聞こえるようになること」を目指しているわけでない学校づくりは、音声情報に頼らず子どもたちと先生方が情報伝達を行うことができるような配慮がそこかしこに見受けられました。

耳が聞こえにくい、聞こえないお子さんに公立のろう学校で教えられている手話はもともとあった日本手話(手話そのものの文法や言葉の並びによるもの)ではなく、日本語対応手話というものだそうです。

こちらで教えられているのは日本手話。

手話は本来文法が日本語と違う、というご説明を実際に日本手話を用いてご説明いただきました。


また、歴史的にろう学校で手話は禁止されたという過去があります。

耳が聞こえない生徒さんたちは人が話す口元を読む能力をつけることを求められたということになりますが、それでは結局「音声中心の社会に適応する」という教育とも言えます。こちらの学校では「音声を用いない教育」「音声に頼らないでも思考し、発言し、活躍できる」人材を育成されていて、第1期生のとある青年は先ごろ一般企業に一般の就労で就職が決定したそうです。



こちらは手洗い場ですが、鏡があることで背後の人の流れ、動き、表情まで見ることができます。

日本手話を教わった際も感じましたが、先生方もお子さんたちもとっても表情が豊かです。

それは、その表情も表現、コミュニケーションの重要な要素だからです。無表情で手話を用いると、全く同じ言葉(手話)が違う意味になる、もしくはどちらの意味かわからなくなることがあります。


例えば、

「森澤さんを、誘ってみる?」

「いいよ」

この「いいよ」の手話は同じですが、表情が肯定的か否定的かによって、「そうしましょう」なのか「やめておきましょう」なのかが違います。それほどに、表情は重要なのです。


子どもたちが発表している場でも、とても一人一人が生き生きと体の動きや表情を使って、自らの意思を伝えようとする様子がわかりました。受け取っている側も、みんながじっと黙って聞いているというよりも、それぞれ受け取りながら共に意見を出しているようにも見えました。

また、大変表情豊かで、私たちにもどんどん手話で話しかけてきてくれた生徒さんたちの姿が印象的でした。こちらが手話を使えないとわかっても、隣の先生に訳してもらいながらどんどんと語りかけてくる。大変人懐こく、利発で、たくましい。感銘を受けました。



耳の聞こえない方にとってのまちづくりを考えるヒントも多くいただきました。

アラームやチャイム、ベルや放送など、聴覚から得る情報だけではなく、目で見てわかる有事の警告などもこの学校で使われています。


今は街で歩きながらも音楽を聴いたり、スマホを見ながら表情は無表情で何かを読み取れない人も多い中、

便利さや合理性だけでなく、人の思考や伝達について必要なものはなんなのか、考えさせられた時間でした。


また、在学中に海外への留学に一度は行かせるそうです。

国内だけでは往々にして「同じ障害のある家族等での狭い社会の中で」暮らすことになりがちだそうですが、常に広い視野を持ち、決して狭いコミュニティーの中だけで完結しないように学校としても努力されている配慮を感じます。

珍しい日本手話を教える学校として、世界各地から毎年かなりの数の視察団が訪れ、その中には言語学研究者で著名な方も少なくないそうです。


生徒さんがしっかりとした考えを持ち、それを伝え、また様々な情報を受け取りながら、社会に出て活躍していけるように。

それを目指している明清学園から教えられたことを、この学校内のみならず東京都で、日本で、

私たち東京みらいもしっかり実現してゆきたいと感じました。


私立の特別支援学校は公立の特別支援学校と違い、私学助成の枠組みの中で様々な施設整備等の補助を受けています。生徒さんの中には最近、いくつかの障害が複数ある生徒さんも増えているそうで、先生の手も足りていません。

生徒さんにとって、また保護者にとって、多様な選択肢が確保されるように、私たちからも東京都に支援の拡充を訴えてゆきたいです。

斉藤れいな(さいとうれいな)公式サイト

東京都議会議員 南多摩選挙区選出 斉藤れいなの公式ホームページです。